武士と町人
町内の若い男が、道で侍に突き当たった。
「無礼者!お前の目はどこに付いているんだ!」
「なんだ!それはこっちの言うせりふだ」
「おのれ、侍に向かってその口のききようはなんだ!」
「侍がなんだ!侍なんか糞とも思わんわ」
「なにお!糞とも思わんだと!そこに直れ、手打ちに致す」
丁度そこに来合わせた大家が
「まあまあ、お待ち下さいませ。この者が、なにかお気に障るような事を致しましたでしょうか」
「武士に対して無礼千万。拙者に向かって糞とも思わんなどとぬかしおったわ」
「お腹立ちはごもっとも。わたくしからも重々お詫び申し上げます。どうぞご勘弁くださいませ。八や、お前もお前だ。お侍様に向かって『糞とも思わん』等とはとんでもない。いいか、これからは糞と思うようにするのだぞ」。(江戸小咄・安永二年)
元禄(1688~1704)から七十年たった、安永(1772~1781)頃には財政的に行き詰った大名達が頭をさげて、町人に年貢米を担保に高利の借金を申し入れて、藩の財政のやりくりに頭を痛めていた。この頃になると「士農工商」の身分序列も怪しくなっていた事でしょう。元禄のころから江戸には紀伊国屋文左衛門とか奈良屋茂左衛門という豪商を生み出した反面、大名貸しで生きてきた大町人の中には、諸侯の財政窮乏と借金政策の犠牲となって倒産し滅びていった者も多いと言います。
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