大晦日
昔、大晦日は一晩中起きて過ごすことが習わしだった。一日の始まりが日没から始まっていたので、大晦日は新しい年の年神様を迎えるために、夜通し準備をしなければならなかったのです。もし、寝てしまうと白髪になると言い伝えられていました。これは神に仕える義務を怠ったために、年神様から新しい生命力を与えられず、生命を再生することが出来なくなり、生命力が衰えて白髪になると言うのです。ですから元旦は「寝正月」を決め込んでも、誰にも文句を言われなかったのです。大晦日には「年越し蕎麦」を食べるという風習があります。江戸中期ごろからの風習で、人生を「蕎麦のように細く長く生きる」という意味で食べるのです。関西では饂飩を食べて「太く長く生きる」ことを願う処があると言います。 江戸開府以来饂飩の町だった江戸で、蕎麦屋の始まりとされる「けんどん蕎麦切り」が吉原に現れたのは、寛文四年(1664)と言われています。 古くは蕎麦と言えば蕎麦粉を熱湯で練って食べる「蕎麦がき」が一般的でしたので、「蕎麦のように細く長く生きる」の諺は、現在のような細切り蕎麦が現れてからのものです。
「みそか蕎麦残ったかけハ伸びるなり」という川柳があります。大晦日、ヤッパリ訪ねてきた借金取りへの対応に四苦八苦しているうちに、年越しで食べていた蕎麦がすっかり伸びてしまったと言うのです。 暮れも押し詰まると掛売りの代金回収に「掛取り」が走り回りました。あの手この手を使って掛取りを追い返す「掛取万歳」と言う古典落語があります(大晦日、掛け買いの借金がたまった夫婦、当然支払える当てはないため、掛け取りの好きなもので言い訳して煙にまき、追い返してしまおうと作戦を練った)と言う噺です。 江戸時代は節払いといって盆と暮れとの二回、まとめて勘定の支払いを済ませる習慣がありました。 戦前でも一般的に「掛売り」は行われていました、貧しかった時代でしたが、お互いの信頼の上に貸し借りが日常的に行われていたのです。貧しい中でも、なんとか借金を返して、正月位は少なくても三が日は皆一斉に休みを取って、ゆったりと新年を祝う独特の雰囲気がありました。ところが今はどうでしょう、スーパーは元日から営業してますし、正月の行事を行う家も少なくなって、正月だと言うのに、ゆとりがなく、潤いもなく、何の情緒もない殺伐とした年の初めです。
従来、月末を「つごもり」と言った、「月隠り」(つきごもり)がつまって、つごもりになったそうです。そして十二月三十一日はその年の最後の月末と言うわけで「大」をつけて「大つごもり」となった。「小つもごり」は前日の三十日ですが今は使われていません。 晦日と言うのは、月末は月が晦(くらい)ので晦日(つごもり)となった。太陰太陽暦では月末を三十日(みそか)といいならわしていたので、晦日をみそかと読むようになって、晦日にも大を付けて「大晦日」となったのです。 大晦日には「年越し蕎麦」を食べる。「来年も幸せをそばからかき入れる」というものだが、金箔師が散らばった金箔を蕎麦団子にくっつけて集めたことから、蕎麦で金をかき集めると言う縁起となったと言う話もあります。年越し蕎麦には薬味に「葱」を入れます、これは心をやわらげる「労ぐ」(ねぐ)に通じ、それが祓い浄める神職の「禰宜」(ねぎ)ともなったと言うのですがどうも語呂合わせのようで、とにかく今年の穢れを払いぬぐって新年を迎えようと言う事です。
大晦日には除夜の鐘が鳴らされます、除夜とは古い年が押しのけられる夜のことで、大晦日の晩です。中国では宋の時代に始まった。日本では鎌倉時代に禅寺で朝夕行われていたが、室町時代からは大晦日にのみ撞くようになった。鐘は煩悩を解脱し、罪業の消滅を祈って百八つ撞きます「人間は六根という感覚器官、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの迷いの基となる要素を持っていて、それぞれ六境という六つの対象、色・声・香・味・触・法を理解する。そのとき三不同、好・平・悪の受け取り方があり、その程度は染・浄の二つに分かれる。そのすべてが過去・現在・未来の三世に渡って人を悩ますので、6×3×2×3=108、合わせて百八の煩悩と言う訳です。
(「年中行事を科学する」「旧暦て読み解く日本の習わし」より)。「八っあん」(6年9月蕎麦切り寺。7年11月けんどん屋。8年7月江戸の蕎麦屋。10年1月初夢。10年10月蕎麦屋の酒)。
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