地震と鯰

日本は地殻変動によって造られた島国です。プレートがぶつかり合って圧縮され、トラフ(三陸沖から房総沖に達する日本海溝、相模トラフ、南海トラフ)、と言われる凹地で陸側プレートの下に潜り込みを続け、細長く盛り上がったのが日本列島です。地震がなければ、日本の島々は存在しないのです。活断層が起伏に富んだ地形を造り、地殻運動で沈降し続ける広い空間に砂や粘土が堆積して東京・名古屋・大阪などの大都会が発達しました。その宿命として、地震・津波による酷い仕打ちを受けてきた長い歴史があります。 日本に生まれた以上地震との共存は避けられません。大規模地震はある程度決まった地点で繰り返し発生しているそうですから、過去にどんな地震があったのかを知っておく事が大切なのだと言われます。
話は江戸に飛びますが、突然襲ってくる地震は「地下に住んでいる巨大な鯰が動くと地面が揺れる」という俗説が、全国的に知られていました。この鯰を鹿島神宮の神様が要石で押さえつけている間は静かだが、神様が留守にしたり気を緩めると鯰が暴れ出すのだと言い伝えられていたのです。地震の前兆として鯰や他の動物の異常行動が、経験的に話題となっていたのでしょう。 要石は、古代の神事で神の座である岩座と伝えられる霊石で、今も茨城県の鹿島神宮境内に鎮座しています。野球ベース程の小さな石ですが、氷山の頭部のように実体は地中深く埋もれた巨石だと言われています。かって水戸光圀がこの石の底を調べようとして掘りかけたけれど、いくら掘っても翌朝には元に戻ってしまうので、神罰を恐れて止めたと言う伝説が伝わっています。要石の下には、鯰がいると言われています。
安政二年(1855)、江戸直下型地震の「安政大地震」のとき発行された瓦版は、被害報道とともに「なまず絵」と呼ばれる刷り物が多数発行されました。 かわら版の一文「鹿島の神により地の底に永年押さえつけられている鯰は、かねてから身体を揺すりたく思っていた。八百万の神が出雲に集まる神無月に、鹿島の神も出張不在となったので、鯰は平安の世を憚らず、非道にも揺すり出し、地震災害を発生させてしまった。留守居役の恵比寿様が一足飛びに報告するや、鹿島神は真っ先に帰ってきて要石で鯰を押さえつけ、天下太平の世に戻った。悪い鯰は骨抜きにして蒲焼屋へ払い下げてしまおう」。 *「鯰絵」は江戸時代の日本で出版された、鯰を題材に描かれた錦絵の総称です。大鯰が地下で活動することによって地震が発生するという民間信仰に基づいており、安政二年に起きた安政の大地震の後、江戸を中心に大量に出版されました。
天正十三年(1586)、中部地域から近畿東部にかけて広い範囲が凄まじい地震に見舞われました「天正地震」です。この地震が発生した時、豊臣秀吉は、かって明智光秀の城だった、近江の湖のほとりの坂本の城にいました。秀吉は、その時手がけていた一切の事を放棄し、馬を乗り継いで、飛ぶようにして大阪へ避難したのです。大阪は秀吉にとっては最も安全な場所と思えたからです。琵琶湖南西岸で強い揺れに襲われた秀吉は、肝を潰して逃げ帰ったのです。
琵琶湖には現在も鯰が多く生息していますが、天正地震で琵琶湖の鯰が「奇妙な行動」を起こし、これが秀吉の耳にも伝わった可能性が高いのです。 文禄元年(1593)、秀吉から、伏見城の普請を担当した京都所司代に送った消息の手紙に「伏見のふしん鯰大事にて候まま(中略)、利休にこのませ候て、ねんころに申付けたく候」と書かれています。鯰とは地震のことで、「鯰大事」とは「地震対策が大事」という意味です。秀吉が切腹させた千利休の好みにすることも指示しています。
1594年の夏、秀吉は完成した伏見城に移った。秀吉は朝鮮からの使節を伏見城で迎えることにしたのですが、当日「なまず大事」の懸念が現実のものとなったのです。 文禄五年(1596)、突如として大地が揺れ動いた。「伏見の殿中殿舎倒れ崩れる、是によりて上臈女房七十三人、中居下女五百余人横死す」と「家忠日記」に書かれています。 御城は天主閣が崩れ落ち、大きな被害が生じたのです。その後伏見城は、少し東の木幡山に再建されることになって十か月後に天主が完成しました。1598年の夏、秀吉は伏見城で六十二年の生涯を閉じたのです。
九世紀の地震活動は、現在の日本列島と共通点が多いのだそうです。
(平安時代794~1185)。桓武天皇は794年に平安京遷都。818年関東北部に大地震が発生。830年と850年に東北地方の日本海側で大地震発生。841年長野県と伊豆半島で大地震発生。863年富山・新潟で大地震発生。864年から二年間富士山噴火し青木が原形成。868年兵庫県で「播磨地震」発生。869年東北太平洋海底で「貞観地震」発生。871年秋田・山形両県にまたがる鳥海山噴火。878年相模湾付近で大地震発生。880年出雲地域で大地震発生。887年南海トラフから「仁和南海地震」発生。
(「地震の日本史」「江戸のマスコミ・かわら版」「Wikipedia」より)。(絵図は、鹿島大明神と鯰)。
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